こんばんわ、
上郡町梨ケ原地区の落地遺跡“野磨駅家”の特徴として、
「駅家を建て替える時に場所を移動させている」事があげられると思います、
移動させず同じ場所に建て直していると建物の構造などが交ざって、
どの時代のものか分かりづらくなってしまっていたりするようです。
前期の駅家が広々とした平地に建てられているのに対し、
後期駅家は山のくぼんだ谷間を開墾し平らにした土地の上で発見されています、
山の斜面を利用したのは海外からの使節に対し景観をどのように魅せるのか、
あるいは軍事的な防御の意味合いなど前期と比べると様々な様相が変化しているそうです。
さらに当時、
こういった公共施設は左右対称の建てられ方をしていたそうなんですが、
後期野磨駅家は左右非対称構造だそうです。
なぜ野磨駅家がこのように位置を移動させたのか、
景観を重視したのか、防衛を意識したのか、様々な要因はあるんでしょうが、
当時の様々な文献などにも紹介されるような施設が「我らが故郷上郡にあった」ということは紛れもない事実であります。
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