こんばんわ、
上方落語の演目で‘くしゃみ講釈’という噺があります、
その冒頭、まくらでよく例えられるのに「講釈場、いらぬ親父の拠り所、」というような例えをされます、
家に居ても用事のない、出来ない、そんな親父にどこかに行って欲しい、
講釈場にでも行ってくれればいいのに、そんな事を表現しているのです、
上郡町の消防団では12/29から歳末夜間特別警戒(正式名称ではないかも知れません、)が始まりました、
生活様式と生活形体の変化で近年では正月前だからと云って‘特に’警戒するほどの、
火事の危険性はググっと減少していると思います。
消防団ということの必要意義自体が問われるような意見もあります、
しかし何度かこのblogで書いたように‘消防活動’だけではなく、
地域の青年団、若者として出来ること、やらなければいけない事があると思います、
僕が所属してる地域では地域の運動会や溝掃除に参加したりなどの活動もしています、
そういった活動以外に僕は同じ地域に住む同年代の人間でお互いを信用できる関係、
コミニケーションの向上のツールとしても必要意義は有るのではないか、と思っています。
例えば今日でも子供の進路の話をしたり、夫婦の悩み事の話をしたり、またその事を年上の人に相談したり、
そんなことは消防団でしなくても、と言われるかもしれませんが、
そんな拠り所が在ることによって関係性が密になっていくと僕は思っています。