昨日ブログに書いた上郡町高田地区“佐用谷”の駅家跡の発掘作業現場を少し遠くから眺めてみました。
今後、梨ヶ原の野磨駅家跡と同じように発掘作業が進み色んな遺構がみつかると、どのような建物がどの位置にあったかの推測される復元imageも出来てくるでしょうか、
都を発って西へ、1日に何㎞歩けたのかなぁ、
たくさんの荷物や自らの足で歩くことを考えると、
二駅家分の16㎞位でしょうか、
陽が暮れてからの峠越えは危険があるだろうから、
「今日はここを宿にするか( ゚ε゚;)( ゚д゚)」
なんて会話があったのか、どうなのか、
2020年、現代の夕陽と同じように、
当時の人達もこの場所で夕陽を観ただろうか、
数百年前にこの場所であったであろう場面を想像する、
なんてワクワク面白い事なんだろう。
「何もない上郡」にはその昔、
“日本国の主要道路を担った役所があった”という、
歴史があります。