こんばんわ、
街の発展する条件として‘交通軸’人や物の行き来が活発に行われる、
これが大切だと何かの講演で聞いたことがあります。
近代では鉄道がそうでしょう、そして新幹線、そして未来はリニア、
その誘致で各自治体が躍起になるのは当然のことだと思います。
上郡の場合、もし山陽本線が現在の赤穂線の場所を通っていたら、
そんな想像したら皆さんはどう思われますか??
激しく叫ばれる若年者の流出課題、おそらくもっと酷い現状になっていたことでしょう。
人やモノの往来は人間の脚から鉄道、車に替りました、
歴史からどのように現在を学ぶのか、そう考えたときに、
この梨ケ原という場所はとても重要な課題を与えてくれるように思います。
人間が自らの脚で歩いたり、あるいは御供の者をつれて馬に乗って移動したとしても、
1日に何キロ歩けたんでしょう、
当時、荷を担いだりした状態で峠を越えるというのは困難だったんでしょうね、
山陽道随一の難所と記された‘船坂峠’、
徹底した管理をしても夜間などは賊などもでたでしょうね、
そこでこの梨ケ原という場所には現在でいうところの役所や宿場などが整備され、
官民問わずここで一段落し鋭気を養いまた旅立って行ったんでしょうか??
そんな太古の昔から交通の要所として重要な任務を背負った地域‘梨ケ原’、
現在もその重要性は変わっていません、この2枚の遺跡看板をみてそう思います。